『ミッシェルがきた!』


柄にもなく、久し振りに心鱗がドキドキしている。
今日は、オーストラリアからホームスティに来るミッシ ェルを出迎える日で、息子と二人して、待ち合わせの町の 保健センターに来ているのである。
 まもなく現われるであろう被女たちの到着を、今か、今 かと待つのは一種のトキメキであり『お会いできて、嬉しい いです』の英語を何度も暗唱したりする緊張感も同居して いて、どうも落ちつかない状態である。
そんなホームステ ィ顛末記に、しぱし、お付き合い項きたい。

[ 憂 鬱 ]

 中学三年の次男が今年の夏にオーストラリアに行き、コ リィナーさんと言うお宅に三泊四日のホームスティをして きた。
 これは三年ほど前から、長南町が取組んでいる海外交流 事業で、シドニー近郊のコロハイスクールと長南中学校 がお互いの夏休みに行っている。

こちらからは、毎年三十人ほどお世話になり、むこうからは一年置きに十二〜三人ほど来ているらしい。
 当然、こちらが行けぱ、向こうもホームスティにやって来 るわけだが、咋年は来なかったこともあり、来ないで済め ば、それに越したことはないと、少々情けないが、ホームス ティ受入れには消極的な気持ちだった。
 私がホームスティに乗り気でなかったのには、幾つかの 理由があるのだが、一つは誰にでもある気後れである。
 英語は話せないし、外人苦手な所があるし、やだなぁ… と、まあこんな所である。
 もう一つは、食堂が狭いのである。

日本人特有の見栄を張るということもあるが、今の場析 は古い家の仮設用の台所と食堂で、父・母・私・妻・長 男・次男の六人で満員なのである。
 ある家では、ホ‐ムスティを迎える為に台所と風呂場を 直したら三百万円掛かったそうだが、我が家には良い? 解決方法があって、三メートルほど移動して、新しい家の 台所と食等に場所を替えれば良かったのである。
(新しい家と古い家は廊下で繋がって合体している)
 ただし、それにはクリアにすべき問題があった。
第一のハードルは金銭的間題で、食堂移転のためには冷 蔵庫とガスストーブを買い、ガスの配管工事をしなければ ならないという事である。
およそ、二十万円程いる。
 このお金を誰が出すかが問題である。我が家では妻が勤め 始めてから、それぞれのボーナスは自分の管埋となって いる。
「え−うらやまし〜」って声が聞こえてきそうだが、これが実にうまくできている。
妻はナンダ、カンダといっては、ちゃんと取り上げていくのである。
 今回の事も、妻の性格から言って
『この家はパパの家で、あたしの家じゃないもん』
『家の事はバパ、子供と老後の事はあたし』
今から妻の声が聞こえてくるようだ。
 まあ、このハードルは現金問題なので、私の泣きの涙で 越えられるだろう。
しかし、〇・二五月のポ‐ナズ減額には怒りを感じました。
許せない!全逓ガンバレ!
 もう一つの厄介なハードルは、この家には台所が二つあ るという事なのである。
どういう事かいうと、新しい家を建てている間だけのつもりで、古い家のほうに仮設の台所を作ったのだが、新しい家の台所が出来てからも、お袋が移動を渋ったのである。
「当面、台所は両方にあっても、油料埋とか汚れやすい物とか使い分ければいい」
と親切心も込めて言ったお袋が、昼食・タ食当番の時はいまで通りにやったから、結局、古い家で食べる事になった。
 この結果、テーブルまで用意してあった新しい家の台所と食堂は空屋状態となってしまった。
 しかし、それでは、新しい家で食事を作る事を夢見ていた妻が黙っている筈はなかった。
 土・日はこっちでとか、タ飯はこっちとか、別々に食べようとか言い始めたりしていた。
  これは、お互いに領上権を主張する日本とロシアのよう なもので、郵便局に例えるなら、同じ課に話しのわからな い課長が2人いるとか、同じ商店で、郵便局とクロネコが 小包を取り扱っているような物だった。


 このしばらく続いた、第一次台所紛争は大きな冷蔵庫を 持っているクロネコが勝ち、もとい…お袋の古い台所に軍 配が上がり、ほとんど古い家で食事をすることになった。
 しかし、これで妻が引っ込むわけはなかった。その後も 二、三年してから、妻が色々の台所用品を買って、もう一 度仕掛けたが、結局、これも大きな冷蔵庫が動かなかった ので妻は敗北した。
 ここで、冷蔵庫の戦略的高さを知った妻は
「お義母さん、今度、この冷蔵庫が壊れたら、新しい大き な冷蔵庫を買って、こっちの台所を使いましょう。せっかくい い台所があるのに勿体ないですもの」
と、まもなく来る筈の、新しい家の古い冷蔵庫の買い替え に的を絞った。
 しかし、この高度の作戦も見通しが甘く、先に壊れたの は新しい冷蔵庫(お袋の方)で「中身が腐るといけない」 と、壊れたその日の内に買い替えて、冷蔵庫の交換をさせ なかったお袋の素早さに、妻は三度目の敗北を味わうので あった。
 その後、古い冷蔵庫は丈夫で生き続け、十年の長きに渡 り我が家の食事は古い家の台所と食堂で取ることになっ た。
 そんな、女の執念がこもった、台所と食堂の移動を執り 行なければならないのである。
 何と言っても、気が重たかった。

  [ 決 断 ]


 話しを元に戻すと、今年は十二月中旬に四泊五日のホー ムスティに来るそうで、息子は早速、中学校から案内文を 持ってきた。
一行は女の子ばかり十二人だそうで、しかも、十五〜十六才の高校二〜三年生とのこと。
(学年が九月始まりで日本より半年早い)
…〜ん、金髪ピチピチの女子高校生しかも外人は早熟!
私は、迷った、大いに迷った、ん〜実に迷った?
「おまえが、オーストラリアに行ってお世話になってきた 事だし、これからは国際交流は大いにやるべきだよ」
 私は、息子や家族に向かって早速、同意を取りつけ始め た。
「青い目の外人は嫌だ〜」
と変なこと(?)言う大学生の長男も未加入のオルグ並に説得した。
 こうして、ホームスティ受入れ先に応募した我が家はみ ごとに当選し、ミッシェルという十六才の高校三年生の女 の子が来ることになった。
 こうなれば、積極派に転身した私は強かった。
 まず、昔に買ったスピード英会話の本を取りだし勉強し はじめた。お金も労金の財形から下ろした。
 そして、問題の台所移転も妻の援護射撃の為に『西暦二 ○○○年になったら、新しい家で食事を開始する』と家族 に言っておいた事を掘り起こし、ホームスティの為に前倒 しすると再び宣言した.
 不思議なことに、ホームスティを理由にするとお袋は協 力的になり「ああ、ここじゃ狭いから、おいねぇ」
「向うは冷蔵庫が小さくて古いから、買い換えたほうがい い、金ならあたしが出す」と大いに乗り気になっていた.
 こうして、順調にホームスティの準備が進み始めた.

[ 歓迎しないの? ]

 この順調さに調子に乗った私は、ホームスティの受け入れ 準備説明会の中でこういっていた.
「向うに行った時、何処かの牧場でバーベキューをして花火 をやってくれたそうじゃないですか.こちらもお返しという訳 ではないですが、何か歓迎することをやりませんか?」
「例えば、バレーボールなどのスポーツ交流とかお寺で座禅を 一緒にやるとか?」
 出した案が悪かったせいか、積極的に賛成意見を言ってくれたのは知り合いのYさんだけで、あとは個々でやれば良い!的な意見も出て「全体でやりましょう」というムードには、ほど遠かった。

 全体の腰の重さに嫌気がさした私は、思わず、
「私は、何かやりたいと思っています、決まったら皆さん にご案内だけは出します」とやってしまった。
さすがに、会議が終わって「ん・・・・」状態になってし まったが『捨てる紙あれば、拾う神有り』
 エッセイ『トラブルメーカー』に登場させた知り合いの バレー部員、真由子ちゃんが近づいてきて、
「川森さん、バレーや座禅は寒くてダメですよ〜」
「じゃあ、何がいいかなぁ」すかさず、私は聞き返した.
…そう、ここで相手に言わせることが大切なんです。
「例えば〜持ち寄りのホームパーティとか」
「あっ、それいいねぇ、乗った」
…まず、相手の意見を受け入れ、耳を傾けることです.
そうです.これは、受け売りです。
(…は郵便局のミドルマネジャー訓練でやりました)
 まあ、そんなこんなで近くにいたバレー仲間も寄って
きてくれて、とりあえずここにいるメンバーのホームパーティ案でまとまった.
 しかし、まとまると私はさっそく一つの条件をつけた?
『他にも賛同してくれる人がいれば、仲間に入れますよ!」
 こうなれば、話しは早く、知り合いから落とす電話戦術で過半数を握り『歓迎ホームパーティ』実行委員会がまとまった。
そして、最終的には十家族が参加して、町の公民館で目出度く実行する運びとなった.

[千田も来た!]

 こうした、動きが天上界の神様に評価されたのだろう か?
 前向きになると、いろいろと荷物や障害が増えて来る事 もあるが、それらは産みの苦しみで、たいがいは後の喜び が大きくなるものである。
 まあ、そういう事で、私のもとへ全然知らない群馬県明 和町の千田さんから、電話が二度入った。
 話しを聞くと、今度、私の所へ来るミッシェルの家に、 娘さんがホームスティした事があるそうで、インターネッ トのメール交換で今回の来日を知ったとの事である.
 是非、会いたいとのことである。
 千葉で日昼に会う話しも出たが、この際一緒に泊まって貰 えれば良いと腹を決めた。
「せっかくですから、ミッシェルと一緒に泊まればいいじゃないですか」
「ええ、でも宜しいでしょうか。うちの娘ともう一人いる のですけど」
「たいした、おもてなしは出来ないですけど、どうぞ」
…そして、翌日、二度目の電話が来た。
「実は、その前の年にもミッシェルの家に行った同級生が 二人いまして、四人になってしまったんですが…」
*『普通、二人なら0Kで四人ではだめって言えないです よね』と、建て前は言っているが
*本音は『わ〜い、ミッシェルも含めて、ピチピチギヤル の娘が五人じゃ』とはしゃいでしまっている。
私が断る訳はなかった。
 言い訳ではないが、子どもが男ばかりの我が家は、娘は 大歓迎で楽しみであった。結局、群馬からは現役女子高校 生干田グループが四人来ることになった。

[クイズ]
 
しかし、やって来たのは千田ひろみ・杉戸ひとみ・新 井ゆう子さんしかいませんでした。でも、数えて見ると四 人いました。さて、何故でしょう。
*ヒント…電話の中でも三人分しか名前をいってくれませ んでした。(聞いたのは妻で、大いに惑いました)
@答え…千田ひろみさんは、宏美とひろみがいて、ちなみ に同級生だそうで彼女たちは、ヒーさんとひろさんと呼び 区別しているそうである。あとの二人、杉戸ひとみ・新井 ゆう子さんは学校帰りなので、紛れもない制服姿の女子高 校生で、オマケにミニスカート、しかもルーズソックスで した。(神様に感謝)

 しかし、さすがに四人来ると、私の新しい家では納まり 切らず、古い家の親父たちの部屋を使うことになった。
 これは意外な所で絶大な効果を生み出した。
 さすがに親父は俺と違って、女子高校生フェロモンに引 きつけられた訳ではないと思うが、今までのんびりしてい た親父は、これを聞いて急にハッスルしはじめた。
 まず、植木屋さんが入り、障子を全て張り替え、家を大 帰除したり、妹から借りて来た布団を毎日干したり、獅子 奮迅の働きぶりであった。
 嬉しい事に、それに加え、お袋と妻は台所の移転に、てん てこ舞いで、今では一致団結・協力して仲良くやっている。
 家中がホームスティ効果で高揚していた。
 もしかして、今、大量のホームスティを外国から導入したら、絶対日本 の景気は持ち直すと確信したくらいである。
 そして、運命の日はとうとう来た。

[ミッシェルが来た!]


  なにか、こう久々に心臓がドキドキする。まだ、ホームスティ 一向は待ち合わせ会場には来ておらず、旧知のPTA関係者と話を 弾ませた.
 そして、いよいよ一行が玄関に到着した。
しかし、案内がなく、玄関付近で、ただごちゃごちゃしているので 、歓迎ムードがないと日本の恥じと思い、一向に近づき
「ウェルカム トゥ 長南」とやった。
 彼女たち一行からは「こんにちは」「ハゥ ドゥ ユー ドゥ」と 日本語も交えた声が聞こえてきた.
 私は安心して「こんにちは」「いらっしゃい」とか答えていたが 、後から脇に来た奥さんが、あまりにペラペラの英語で話し始めたので 私は慌てて、その場を撤退するのだった.
…ちょっと、情けないが私は英語が苦手なのである.
 そんな私を見つけた、先ほどまで話をしていた人が 寄って来て、
「ゆえ、どの人がホームスティの人か判った〜私は写真を 持ってきたのですぐ判ったわよ」と言った。
…しまった、写真を持ってくれば良かったと思ったが後の 祭りである。
 すぐに判ると思ったのは大きな間違いで、こっそり覗き目に見る、私には、彼女たちの区別が全然判らなかった。
 それでも、写真のイメージを思いだし、あたりを見回してみると、顔つきが似たような子がいた。
…が、が、物凄く太つていた『うっ、もしかして、この 子なのか』私はちょっと動揺した、いや、大きく動揺した.
 そうか、写真は昔のやつで、それから太ったかも知れない.
『あっ、笑った顔が似ている』私は諦めて
『海外交流、海外交流なんだから』と呪文を唱え始めた。
 そう、可愛いとか、金髪だとか、グラマーだとか気にしちゃいかん 、例えデブでもブスでも同じように接しなければいかん、若干の半べそ 状態で面会式に臨むのだった.
 一人目のYさんが呼び出され、結構いけてるエリザベスと対面挨拶を 交わしている.
「川森さん」名簿順二番目の私の家が呼び出された.
「ミッシェル」二人目の子が呼び出され、立ち上がった.
『オー マイ ゴッド』何とあのおデブちゃんでなく
 (ごめんねミーガン、陽気でいい子なのに)
スラリとして小さくて可愛い、ミッシェルが立っているではないか.
 写真写りは平凡だったのだが、実物はお人形さんのように可愛く、
見つめる瞳は薄い灰色に青みがかった、まさしく吸い込まれそうな締麗な瞳だった。
それを証明するように、被女は息子のクラスでも一番の 人気者になり、写真を貰いたいと言う子まで何人か出てき た。
 性格も、六人兄弟の長女だけあって奥ゆかしいし、来た人の中では目本語も一番上手で少し語せたし、いう事なしであった。
 そんな訳で、私のホームスティ受入れも家族の受入れも 万々歳であり、四泊五日のホームスティはミッシェル、ミ ッシェル+ちょっと千田で「あっ・」と言う間に終わってし まった。

 愛でたし、愛でたし、
 いろいろ、あったホームスティ受け入れですか、家族も本 当に喜んでいました。また、家族の協力や人の繋がりや出 会いを強く感じさせられた充実した日々でした。
もちろん、意義ある国際交流ですから、この次も機会が あれば受け入れます。
…そして、当然、次回も神の思し召しに期待しています。
皆さんも、是非どうぞ、お勧めします。

*追伸

 歓迎ホームパーティは公民館に各家庭の夕食持ち寄り形 式で行われ、歌やミニゲームなどでホームシック気味の彼 女たちを大いに元気づけ、盛り上がりました。
 ミニゲームの風船バレーボールでは、円陣を組み「オス トリアン、ファイト」と遊びのゲームにも力が入り、その 熱狂ぶりにゲームが終わった時、日本側中学生は恐れをな して、最初の八人が五人に減ってしまっていたほどです。
 また、私たち日本側の『ふるさと』の合唱のお返しにと、 即興でクリスマスソングニ曲にハモリとラインダンスまで 入れて披露してくれた、物おじしない社交性や、私の司会 を奪ってリンボーダンスを始めるなど、楽しむ時はとこと ん陽気に楽しむ生き方は見習うべきだと感じました。


 


 
作 …2002,8(編集) 


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