昔々、上総の国は長柄郡に蔵持村というところがありました.
ある年のことです、この村にたいそうな疫病が流行り、村人のほとんどが倒れて働き手がいなくなってしまいました。
わずかに残ったのは、年よりや子どもばかりで田畑はどんどん荒れだしました.
とくに田んぼは大事な草取りの時期だというのに、このままでは田んぼは草ぼうぼうの荒れ放題になって、とても秋の収穫は望めなくなります。
そんなことになったら、村中の人はみんな餓死してしまいます、そういう訳で村人たちは非常に難儀しておりました。
そこで、信心深いある老夫婦が村はずれにある仁王様に、お願いに行きました。
「仁王様、たいそうな疫病で村中のみんなが倒れて、ろくに田んぼの草取りも出来ません、このままでは村は大変な事になります、どうか何とかしてくだせぇ」
老夫婦は心から仁王様に何度もお願いしました.
『草取り仁王尊』
すると翌朝のことです.
この老夫婦が起きてみると、たった一晩の間に村中の田んぼの草が『なんと!』きれいになくなっているではありませんか。
これに気がついた村人たちも
「誰が草を抜いてくれたんだっぺ」と村中で大騒ぎになりました。
村人が田んぼに行って見ると大きな足跡があり、道端にある井戸まで続いていました。そして、井戸の側には人間とは思えないような大きな足型が残っていました。
ある者がいいました.
「村にはこんな足の大きな奴はいねぇ」
「じゃあ誰だべぇ〜」
「もしかしたら…」
村人たちが村はずれの仁王様のところまで行って見ると、何と仁王様の足にまだ少し泥が付いているではありませんか.
「仁王様だ!仁王様が草を抜いて下さっただ!」
村人たちは歓喜の声を上げました.
そして水を持ってきて仁王様の足をありがたく丁寧に拭いたそうです.
それからはこの仁王様は村人たちに「草取り仁王様」と呼ばれるようになり、村人に大切にされたそうです.
…おしまい.
場所:長南町蔵持
2002.1.27 …紙 二重 作成
[余 談]
作者と『草取り仁王尊』は大きく関わっています
まずこの仁王様は清浄院(廃寺)という天台宗の末寺の所有なのですが、作者は清浄院の檀家です.
ですから、廃寺となった今でもこの仁王様をおじいちゃんが中心になってお守りしています.
(10軒ほどしかない檀家でお寺を持ち、仁王様まで所有できたことは不思議な思いですが、仁王様の出何処は色々な説があり謎だそうです)
また、昔は小関谷というところにあったそうで、作者の家の田んぼもそこにありました。
現在は200mほど移動して国道409号線沿いの小山の上にあります.
子どもの頃から、この草取り仁王様の話を聞いて育った私は、次男に一字もらい『仁志』と命名しました.
…ちょっと前(50年前くらい)まで、仁王様が足を洗った井戸があり、足型まであったという話しですが今はなくなってしまいました.残念なことです。
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